FAMI TIME/発達障害家族の日常

発達障害の家族の少し変わった日常を発信するブログ

家庭菜園にかける想い

2020年4月から、我が家では、プランター菜園をはじめました。

 

 

自閉っ子の息子は、今、家庭菜園に夢中です。

朝起きて一番に野菜の成長の様子をチェックします。

水やりもかかしたことがありません。

 

本当に大好きなんだなぁと伝わってきます。

 

なぜ、家庭菜園を始めようと思ったのか・・・ 

 

 

家庭菜園を始めた2つの理由

1、家庭教育のため

2、自閉っ子の息子の将来のため

 

すべては、子供達の将来を見据えた行動です。

子供たちが自立した時に役立つことを信じて・・・

 

では、1つづつ説明していきましょう。

 

1、家庭教育のため

家庭菜園は、生き物を育てる良い勉強になり、良い教育だと思います。

 

野菜は、手をかけなければ育たない。

手をかけても、やり方が間違っていると育たない。

 

命あるもの、生き物を育てるって大変なのだ。

難しいのだ。

マニュアルどおりにはいかないものなのだ。

 

でも、愛情をこめて育てることは、とてもいい勉強になります。

 

手塩にかけて育てた野菜の元気がなかったり、枯れたりすると、とても悲しく感じるだろう。

なんとかしてやりたいと思うだろう。

 

たとえ、残念な結果になっても、その経験はとても大切。

 

次は、枯らさないように必死に勉強し、創意工夫したりするだろう。

 

その努力の結果、野菜が元気よく育ち、立派な実が実った時の嬉しさは半端ないはず。

 

自分で育て、収穫し、食べる野菜は、スーパーで購入した野菜と比べ物にならないだろう。

 

なぜなら、野菜が生まれてから収穫するまで、愛情を注ぎ、一生懸命に育ててきたのだから。

 

きっと、最高に美味しいはずだ。

たとえ野菜嫌いであったとしても。

もちろん残したり廃棄したりしないだろう。

 

愛情を注いだ野菜が悲しむことを知っているのだから。

 

私達は、そんな想いを込めて、子供達と家庭菜園をスタートしたのです。

 

2、自閉っ子の息子の将来のため

自閉っ子の息子の将来の夢は農家さんです。

それは、息子が幼稚園の時の夢です。

今でも変わりません。

 

私の夢は、農業で独立することです。

私は、息子に自分の夢の話をよくしたものです。

 

だから、息子が農家さんになりたいと聞いた時、私はとても嬉しかった。

 

自閉症スペクトラム障害である息子は、対人関係がとても苦手。

私達は、息子の将来の仕事について悩んでいました。

 

自立した時に、どんな職業が適しているのか。

 

今までの息子の特性・性格・長所から判断して、適した職業はなんだろうか、妻とよく話し合ったものです。

 

その答えが、田舎で農業だったのです。

息子の夢と一致したのです。

 

「農家さんになりたい!」

まだ幼い自閉っ子の息子の将来の夢。

 

本気で農家さんになりたいと思っていないことは分かっていました。

なんとなく農家さんになりたいなぁの段階でした。

 

本当は、子供の将来の夢に対して、親が介入するのは良くないと思っています。

 

でも、自閉っ子の息子は、ある程度の親の援助を必要とします。

 

定期的に通院している心療内科の先生にも言われました。

 

自閉っ子の将来の仕事を決めるのに、親が方向性を示してあげて、その方向に導いてあげる援助も必要だと。

 

「農家さんになりたい」と、息子が自分で決めた道。

 

その想いを本物に変えてあげたい。

より強固のものにしてもらいたい。

是非実現させてやりたい。

 

その第一歩として家庭菜園をスタートさせたのです。

 

 

親の使命

家庭教育のため、自閉っ子の息子の将来のため、スタートした家庭菜園。

 

生きる力を身につけてほしい。 

親が無理強いするのではなく、自らの決断で将来の方向性を決めてほしい。

 

それが、私達の本当のねらい。

 

その為の「きっかけ」を作ってあげることが今の私達の使命だと強く思います。

 

 

以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

トマトから勃発した珍事件

自閉っ子の息子との家庭菜園。

2020年4月から始めてます。

 

今年の5月に購入したトマトの苗。

順調に育ち、収穫の時期をむかえています。

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純あまトマトの苗を購入

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☆いい感じで実ってます☆

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☆色づいてきました☆

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☆真っ赤なトマト☆収穫間近ですね。

 

 

息子は、毎日毎日、自分の子供のように、一生懸命に家庭菜園の野菜達を育てています。

 

毎日、野菜達のチェックと水やりは、欠かしません。

これも、こだわりかな。。。

 

息子が丹精込めて作ったトマト。

既に何度か収穫し食べました。

自分達で作ったトマトは、やはり購入品とは違うんですね。とても美味しく感じます。

 

トマト嫌いの娘も美味しいと食べてくれました。

びっくりです!!

 

 

 

そんなある日のこと、このトマトを巡って、珍事件が勃発しました。

 

収穫時期をむかえた、真っ赤に熟したトマトを息子が収穫した時のお話しです。

 

収穫したトマト。とても嬉しかったのでしょう。

 

息子・・・

「ママ!見て見て。トマト🍅とれたで。真っ赤で美味しそうやろ。」

 

ママ・・・

「すごいな〜美味しそう。食べていい?」

 

息子・・・

「いいよ。」

 

こんな会話のやりとりがあって、妻はトマトを食べました。

 

しばらくして、息子が急に思い出したかのように、「さっき、とったトマトどこ?」って聞いてきたのです。

 

ママ・・・

「えっ!食べていい言うから、食べたで。」

 

すると突然息子が怒り始めたのです。

「なんで勝手に食べたん?それはパパに食べてもらおうと思ったのに。どないするんよ!」と癇癪が・・・

 

どうやら、ママに「食べてもいいよ」と言ったことをすっかり忘れてしまったようです。

 

それか、上の空の返事だったんでしょうか。。。

 

たまたまスーパーで購入したプチトマトがあったので、「冷蔵庫にあるよ」と言うと、それを見た息子は「こんな形と違う」とさらに怒る始末。

 

「どうするんよ。」とパニックになる息子。

 

「どうするんよ」言われても、食べてしまったものを出すわけにはいかない困り果てた妻。

 

その時は、赤くなりかけていたトマトがあったので、早めに収穫することで解決。

 

まだ酸味があり皮が硬かったけど、「めっちゃ甘い。ありがとう。」と私は息子にお礼を言うと喜んでくれました。

 

機嫌も直ってくれて良かったよ。

 

このように、息子はすぐに忘れてしまうのです。

 

私達は、すぐ忘れる事はいつもの事なので慣れています。だから、大らか気持ちで受け止められますが、他人は、そうもいかないでしょう。

 

忘れ物が多いと先生によく怒られる。

友達と話していても、すぐ忘れてしまうので嫌われる。

 

本人は、忘れたくて忘れているのではない。すぐ忘れる自分が嫌でしかたないのだ。

 

本人が一番辛いのだ。とても苦労するのだ。

 

私達は、そんな息子の一番の良き理解者です。

物忘れの原因は障害だと私達は理解しています。

 

だから、私達が子供達を全力で支援していかなければならない。

 

息子の困りごとに対して、親身になって相談にのり、共感し、一緒になって解決策を見出していくのです。

 

そんな関係が今の私達家族の在り方です。

 

 

 

以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 

 

親子の絆を深めるキャンプ

キャンプデビューして2年たちました。

 

連休しか行けないので、経験値は、まだまだ初心者だと思っていますが、当初と比較すると、キャンプのスキルは向上したなと実感してます。

 

特に、子供達の成長が著しく、積極的にキャンプに関わってきてくれます。

 

家族キャンプをはじめて良かったと、思ってます。

 

キャンプを通して、私達の目的である家族の絆を深めることができているのです。

 

◼️なぜ、家族の絆を深めることができるのか?なぜ、ファミリー キャンプはオススメなのか?

 

なぜなら、子供と触れ合える最も適した場、それがファミリーキャンプだから。

 

子供と触れ合える時間は今しかない。

 

子供は大人になると親元を離れて自立する日が必ずきます。

 

だからこそ、子供と触れ合える今という時間を大切にしないといけない。

 

◼️ファミリーキャンプがもたらす効果

 

1、家族全員で楽しめるので共通の趣味にできる。同じ趣味を持つことで会話が増え、絆が深まる。

 

2、自然に囲まれた野外での生活。電気もガスもない不便な環境。その環境の中、最低限の道具を活用してキャンプ生活を楽しむには、家族みんなで力を合わせることが大切です。協力し合うことで会話が増え、絆が深まる。

 

3、キャンプは普段できない非日常体験が経験できる。それは親子にとって刺激的。ワクワクできる自然の中で、親子が自由に伸び伸びとたくましく成長でき、生きる力を身につけれる。

 

この3つの効果をキャンプは、もたらしてくれます。

 

◼️キャンプで生きる力を身につける

 

正直キャンプは不便で面倒です。

 

このような環境のもと、最低限の道具で非日常体験を楽しみ、生きる力を身につけることは、親子共に本当に大切な体験だと思ってます。

 

限られたキャンプ用品を活かして自然の中で創意工夫する力、野外で生活できる力を身につけ、子供と家族の絆を深めていける。

 

しかし、初めてのキャンプは不安でいっぱいだと思います。

 

何から始めたらいいかわからない。

 

キャンプ用品はどうしたらいい?

 

どんなリスクがある?

 

いろんな心配があると思います。私達もそうでした。

 

キャンプの経験を重ねていくうちに、今では、その心配もなくなってきてます。

 

私が書いた過去の記事、未来の記事を参考ににしていただければ、そんな不安も少しは和らぐのではないでしょうか。

 

私達ファミリー キャンプの目指すスタイルは、親子で共に学び、共に楽しみ、共に助け合い、子供主体のキャンプです。

 

親も子供の頃を思い出し、子供と一緒に創意工夫し、家族でキャンプを楽しみましょう。

 

今後も発達障害の息子とのキャンプ記事を書いていきます。

 

生きる力を共に身につけていきましょう。

 

 

以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

子供が発達障害と診断されたら、とるべき行動とは?

息子が5歳の時、自閉症スペクトラム障害と診断されました。

 

なぜ、診療内科を受診したのか。

 

それは、息子の壮絶な癇癪がきっかけでした。

 

癇癪の凄さを物語る記事はこちら

copydream.hatenablog.com

それは、初めて聞く診断名。

 

自閉症スペクトラム障害とは、一部の人たちに共通してみられる心理的・行動的な特性のこと。」

 

「その特性とは、臨機応変な対人関係が苦手で、自分の関心、やり方、ペースの維持を最優先させたい本能的思考が強いこと。」

 

だと診療内科の先生に教えて頂きました。

 

息子の言動を振り返ると、当てはまることが多々ありました。。。

 

実は、薄々と感じていたのです。

 

しかし、専門家に相談するかどうかの判断がとても難しく迷っていたのです。

 

この時期、私達は、息子の癇癪について毎日のように話し合っていた。

 

「小さい子供には誰にでもあることなん?」「こんな性格なん?」「育て方が間違っているん?」

 

私達は、周囲に相談しにくかっただけでなく、何より認めたくなかったのです。

 

だから、自閉症スペクトラム障害と診断された時、素直に受けいれる事ができなかった。

 

「なんで、うちの子供なん?他の子供も同じような特徴があるやん。何かの間違いやろ。」と思っていました。。。

その特性は、人に誤解されたり、叱られたり、嫌われたりされやすい。つまり、対人関係がうまく築けないのだ。

 

自立して社会生活を送っていくうえで、対人関係は必ずあります。対人関係がうまくできないと、いじめられ孤立してしまう心配がある。

 

さらに、精神的不調をきたし、うつ病や引きこもり、自傷行為をおこしてしまう。それは、なんとしてでも避けねばならない。

 

逆に、親は非難されやすい。「愛情が足りていない。」「しつけがなっていない。」と周囲からの冷たい視線にさらされ、非難を受けることも。

 

そして、子育てに自信を失い、親も精神的不調をきたすかもしれない。

そうなったら家庭崩壊を招く結果になりかねない。

子も親もつらいのです。

 

だから、声を大にして言いたい。

 

「疑いがあるなら専門家に相談すべきだ。」「そして、障害の事を知るべきだ。」と。

 

早く気づき、早く知ることで、接し方を変えなけばならない事に気づかされます。

 

私達は、息子の障害を受け入れ、障害の事を深く知ったことで、息子との接し方や子育ての考え方が大きく変化したのです。

 

すると、息子の癇癪が激減しました。同時に家庭も明るくなったのです。

 

今だから言えますが、障害を受けいれる事ができて本当に良かった。障害の事を知って本当に良かった。

 

 

 

以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

癇癪がもたらした壮絶な子育て

息子は仮死状態で産まれてきました。それは、今でも忘れられない壮絶なお産でした。

 

仮死状態で産まれた息子の物語はこちら

copydream.hatenablog.com

 

その息子も10才。

今ではとても元気で、本当に成長したなと感動しています。

・・・授かった大切な命。

 

私達は、息子を大切に大切に育ててきました。たくさんの愛情を注ぎ込んできました。とても幸せな日々を送っていました。

 

そんな私たち家族に大きな試練が待ち構えていたのです。

 

それは、息子が3歳のときのこと。ある異変が現れはじめたのです。

 

癇癪です。

 

お腹がすいた。眠たい。予想外の事が起きた。叱られた。気に入らない。このような時に癇癪を起こすようになったのです。

 

それは、小さな子供には誰にでもある事だと思っていました。

 

ただ一つ違うところは、いちど癇癪が起きるとなかなかおさまらないのです。

 

パニックになり、我を見失っている感じで、感情をコントロールできず収拾がつかない状態です。

 

まるで別人。

 

ぎゃあぎゃあ泣き叫んだり、物を投げたり、暴言を吐いたり、暴力を振るったり。

 

「うるさい!」「静かにしなさい!」「我慢しなさい!」「親に向かってそんな事したらあかん!」

 

注意したり叱ったりすると、さらにヒートアップしてしまう。

 

そうなると、もうお手上げ状態。

 

外出先でも同じです。

 

外出先での癇癪やヒートアップした癇癪に、私達は、いつしか力づくで対応するようになっていました。

 

ほっぺをつねったり・・・

 

本当に本当に胸が張り裂ける思いでした。毎回後悔していました。

 

癇癪が終わった後、「ごめんね。ホンマにごめんね。」と泣きながら息子に謝った事も何度もありました。

 

でも、そうするしかなかったんです。私達の心が弱かったんですね。

 

ぎゃあぎゃあ泣き叫ぶ息子、そんな息子を叱りつけている私達に対して周囲の視線はとても冷たかったんです。

 

泣き叫ぶ息子のしつけがなっていないと言われることも・・・

 

うるさい!と怒鳴られることも・・・

 

このままでは、私達の気が狂いそうで虐待もしかねないほどまでに追い詰められていました。

 

その度に、息子の生まれた時の思い出や楽しかった思い出を振り返って、気持ちを落ち着かせていたんです。

 

癇癪がなければ、めちゃくちゃ良い子で、めちゃくちゃかわいいんです。

 

親孝行は3歳までと聞いた事がありますが、本当にその通りだと実感してます。

 

しかし、とうとう我慢の限界がきてしまった。

・・・息子が5才の時です。

 

川崎病にかかったのです。入院期間は一か月。

 

一人での入院は無理なので妻も一緒に病室で泊り込みの看病をする事に。

 

それは、地獄のはじまりでした。

 

病気の辛さと初めての長期間の入院は、まだ小さな息子にとって強いストレスだったんです。

 

そのストレスは妻に襲いかかってきた。

 

妻に対して、数々の暴言や暴力です。

 

・遊んでいたトミカを落とすと探せ拾えと叫び命令する。

・妻に向かってツバを吐く。

・夜中に起こしてトイレ連れていけと暴言を吐く。

・テレビを見るなと命令する。

・ご飯食べさせろと命令する。

・床が濡れているから拭けと命令する。

・点滴をとれと泣きわめき引きちぎろうとする。

・叩いたり蹴ったりする。

 

妻を人して見れていない。まるで奴隷のような扱い。モノとして見ているかのようだった。

 

病室で怒るとエスカレートして周囲に迷惑がかかるから我慢していた妻に対して、まるで調子にのっているかのような振る舞い。

 

妻は、トイレで泣きじゃくっていました。

もう限界がきてました。頭がおかしくなりそうでした。

 

息子の癇癪は、私達にとって恐怖に変わってしまったのです。

 

このままでは、家庭が崩壊してしまう。もう、行動するしかなかった。

 

心療内科を受診したのです。

 

前から薄々と感じていたが、どうしても認めたくなかった。それが現実となったのです。

 

発達障害の疑いが強いと言われたのだ。。。

 

 

以上、今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

出産前の不思議な出来事

息子が2歳の時、新しい家族が授かりました。

 

娘の誕生です。

 

長年赤ちゃんが授からなかった経験から2人目は厳しいかなと思っていました。

 

だから、妊娠がわかった時、めちゃくちゃ嬉しかった。

 

出産予定の産婦人科は、無痛分娩が可能な病院でした。

息子のお産が壮絶だったので、妻は無痛分娩を選択することに。

 

壮絶だった息子のお産の記事はこちら 

copydream.hatenablog.com

 

無痛分娩とは、麻酔をする事で出産時の痛みを軽減させる出産方法です。

 

出産日が近づいた時のことです。

 

私達は夫婦喧嘩をしてしまいました。ほんの些細な事でしたが、まだ若かったのでしょう。お互いに意地をはっていたのです。

 

会話もないまま寝たその夜のことです。

 

妻が私をたたき起こしたのです。深夜の2時頃だったと思います。

 

怪訝そうに起きた私に対して、妻は血相を変えて破水したと言ってます。

 

破水の2時間ぐらい前から陣痛が始まっており、我慢していたようです。喧嘩して意地を張っていたのでしょう。

 

えっ!えっー!どっどうしよう!

 

もう喧嘩どころではありません。大パニックです。

 

パニックに陥っている場合ではありません。急がないと娘が産まれてしまう。

 

産婦人科に電話して状況説明。今すぐ病院に来て下さい言われた。

 

2歳の息子と妻を連れてパニックになりながら病院へ。病院まで10分程の時間でしたが、焦りからかとても長く感じました。

 

病院に着いた時、妻は一人では立って歩けない状態。

今にも産まれそうです。

 

看護婦さんに分娩室へ連れて行かれ、まだ先生が来ていないから産んだらダメと言われ、今にも産まれそうな赤ちゃんを押し戻そうとしたようです。

 

もう無痛分娩どころでは、ありません。早く先生に来て欲しい。早く産まれて欲しい。その事しか頭にありません。

そして、先生が到着して1時間も立たないうちに娘が元気よく産まれたのでした。

 

 

今思えば、お腹の中の娘が訴えていたのかもしれません。

喧嘩しないで!仲良くして!と。

 

あっという間の出来事でした。

 

もちろん仲直りです。

 

無事に産まれてきてくれてありがとう。

 

仲直りさせてくれて、ありがとう。

以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

人生を変えた感動の奇跡

子供が授からない・・・

私たち夫婦の間には、ずっと子宝に恵まれなかった。

 

結婚してすぐに子宝に恵まれると思ってたのに、気が付けば7年の歳月がたっていた。

子供を欲しい気持ちがこんなに強いのに、なんで授からないんや。

 

いろんな方法を試してみたがダメ。不妊治療も結果がでない。焦りばかりが積もっていく。

 

友人や知人が妊娠したと報告を受けても素直に祝福できない。

 

そんな自分たちが嫌で仕方なかった。それだけ精神的に追い込まれていた。あかん。限界や。あきらめよう。

 

私たちは深く話し合った。そして、2人の人生を歩もうと決意した。私の夢である農業の道に進むことを決めたのです。

 

この決断が大きな転機となりました。

 

住む環境が大きく変化したのです。

 

豊かな自然に囲まれた生活。

とにかく空気と水がきれい。特に水は感動です。水道水がこんなに美味しいとは驚きでした。新天地生活の不安を吹き飛ばしてくれました。

 

とても癒され、居心地が良かった。

 

私たち夫婦は、新しい夢実現に向けて期待でいっぱいでした。

 

そして、農業研修生として新たな人生をスタートさせたのでした。

 

研修がスタートして一ヶ月目のことです。

 

なんと妻が妊娠したのです。

自分の耳を疑いました。無意識にほっぺを何度も何度もつねっていました。めちゃくちゃ痛い。これ夢ちゃうな。現実やんな。

 

驚きと感動でしばらく涙がとまりません。7年間も苦しみ、諦めていた子宝が突然授かったのです。神様から授かった宝物です。

 

でも、なんで?なんで突然子供が授かったんやろ?

 

たぶん、子供ができない焦りや不妊治療のストレスから解放され、自然豊かな環境の変化で精神的に癒されたからだと思います。

 

人生で初めて奇跡を体感した瞬間でした。

・・・そして8ヶ月後、運命の出産日となりました。

今でも鮮明に記憶に残っています。それは壮絶な日でした。

 

当日は大雪の日。車に積もった雪かきをしてから出発です。大雪の中、新しい出会いにワクワクしながら病院へ到着。

 

陣痛が始まり、妻と一緒に分娩室へ。もちろん立ち会いです。あまりの痛さに妻は泣き叫んでいます。

 

頑張れ!と私は励まします。呼吸を整えて一緒に「ひーひーふー」。お産の大変さを目の当たりにしました。

 

出産間近にきたとき、異変が起きました。

 

私達の赤ちゃんの心拍数が落ちてきたのです。さらに呼吸も弱くなってきている。

突然現場が騒然となりました。

 

私は分娩室から追い出され、外から見守ることしかできません。

 

私達の赤ちゃんを早く出してあげないと危険な状態。

 

どないしたんや?何がおきとんや?私達は大パニックです。

 

緊急対応により、私達の赤ちゃんを吸引で引っ張りだされましたが、産声をあげない。

 

えっ!生きてる?大丈夫?

 

現場が騒然としており、看護婦さんが私達の赤ちゃんを抱えて別室へ連れて行きました。

 

少しお待ちください。と言われたきり詳しい説明もないまま数時間待たされる状況に。

 

私達の赤ちゃんにも妻にも会えないまま、何が起きたん?2人とも大丈夫なん?不安でたまらなく心がはじけそうでした。

 

数時間後。看護婦さんが説明にきました。

 

私達の赤ちゃんは仮死状態で、すぐに小児科へ連れていかれ保育器に入れられていると。

 

そして、妻は急な吸引対応で大量出血状態で絶対安静だと。

 

母子共に危険な状態でした。

 

保育器に入れられた私達の赤ちゃんと対面。吸引されて頭が縦長になっており痛々しくかわいそうでした。

 

でも、産声はあげなかったけど一生懸命呼吸し生きてる姿を見ると、自然と大粒の波が溢れていました。

 

妻は大量出血で強い貧血状態。絶対安静の為、妻と対面できたのは次の日でした。妻に私達の赤ちゃんの写真を見せると安心して泣き崩れていました。

 

妻と私達の赤ちゃんの無事な姿を見れて安心しました。2人とも命に問題なく本当に本当に良かった。

 

 

 

今回は総合病院での出産だったので迅速な対応ができたことで助かった命。奇跡だと思います。

 

神様が私達家族を助けてくれたんだと本気で思っています。

 

尽力を尽くしてくれた病院スタッフの皆様には感謝しかありません。

 

入院期間は長かったけど、退院の時、病院スタッフの皆が本当に良く頑張ったねと言ってくれました。本当にありがとうございました。

 

この日の出来事は一生わすれません。命の尊さに気づかされ、この助けられた命を大切にしていかないといけないと強く決意したのでした。

 

 

 

以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。