癇癪がもたらした壮絶な子育て
息子は仮死状態で産まれてきました。それは、今でも忘れられない壮絶なお産でした。
仮死状態で産まれた息子の物語はこちら
その息子も10才。
今ではとても元気で、本当に成長したなと感動しています。
・・・授かった大切な命。
私達は、息子を大切に大切に育ててきました。たくさんの愛情を注ぎ込んできました。とても幸せな日々を送っていました。
そんな私たち家族に大きな試練が待ち構えていたのです。
それは、息子が3歳のときのこと。ある異変が現れはじめたのです。
癇癪です。
お腹がすいた。眠たい。予想外の事が起きた。叱られた。気に入らない。このような時に癇癪を起こすようになったのです。
それは、小さな子供には誰にでもある事だと思っていました。
ただ一つ違うところは、いちど癇癪が起きるとなかなかおさまらないのです。
パニックになり、我を見失っている感じで、感情をコントロールできず収拾がつかない状態です。
まるで別人。
ぎゃあぎゃあ泣き叫んだり、物を投げたり、暴言を吐いたり、暴力を振るったり。
「うるさい!」「静かにしなさい!」「我慢しなさい!」「親に向かってそんな事したらあかん!」
注意したり叱ったりすると、さらにヒートアップしてしまう。
そうなると、もうお手上げ状態。
外出先でも同じです。
外出先での癇癪やヒートアップした癇癪に、私達は、いつしか力づくで対応するようになっていました。
ほっぺをつねったり・・・
本当に本当に胸が張り裂ける思いでした。毎回後悔していました。
癇癪が終わった後、「ごめんね。ホンマにごめんね。」と泣きながら息子に謝った事も何度もありました。
でも、そうするしかなかったんです。私達の心が弱かったんですね。
ぎゃあぎゃあ泣き叫ぶ息子、そんな息子を叱りつけている私達に対して周囲の視線はとても冷たかったんです。
泣き叫ぶ息子のしつけがなっていないと言われることも・・・
うるさい!と怒鳴られることも・・・
このままでは、私達の気が狂いそうで虐待もしかねないほどまでに追い詰められていました。
その度に、息子の生まれた時の思い出や楽しかった思い出を振り返って、気持ちを落ち着かせていたんです。
癇癪がなければ、めちゃくちゃ良い子で、めちゃくちゃかわいいんです。
親孝行は3歳までと聞いた事がありますが、本当にその通りだと実感してます。
しかし、とうとう我慢の限界がきてしまった。
・・・息子が5才の時です。
川崎病にかかったのです。入院期間は一か月。
一人での入院は無理なので妻も一緒に病室で泊り込みの看病をする事に。
それは、地獄のはじまりでした。
病気の辛さと初めての長期間の入院は、まだ小さな息子にとって強いストレスだったんです。
そのストレスは妻に襲いかかってきた。
妻に対して、数々の暴言や暴力です。
・遊んでいたトミカを落とすと探せ拾えと叫び命令する。
・妻に向かってツバを吐く。
・夜中に起こしてトイレ連れていけと暴言を吐く。
・テレビを見るなと命令する。
・ご飯食べさせろと命令する。
・床が濡れているから拭けと命令する。
・点滴をとれと泣きわめき引きちぎろうとする。
・叩いたり蹴ったりする。
妻を人して見れていない。まるで奴隷のような扱い。モノとして見ているかのようだった。
病室で怒るとエスカレートして周囲に迷惑がかかるから我慢していた妻に対して、まるで調子にのっているかのような振る舞い。
妻は、トイレで泣きじゃくっていました。
もう限界がきてました。頭がおかしくなりそうでした。
息子の癇癪は、私達にとって恐怖に変わってしまったのです。
このままでは、家庭が崩壊してしまう。もう、行動するしかなかった。
心療内科を受診したのです。
前から薄々と感じていたが、どうしても認めたくなかった。それが現実となったのです。
発達障害の疑いが強いと言われたのだ。。。
以上、今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。