FAMI TIME/発達障害家族の日常

発達障害の家族の少し変わった日常を発信するブログ

学校の宿題なんかしなくていい

私は、学校の宿題なんかしなくていいと思っている。

 

なぜか。。。

 

嫌々する宿題は、無駄だから。

 

 

 

娘は勉強が大嫌い。

自ら進んで宿題をしたことがない。

 

 

私達は、娘に「宿題しなさい(怒)」と「ガミガミ」言ってしまう。

 

 

宿題のために、

子供を怒るのは嫌だ。怒られる方も嫌だ。誰も得しない。

険悪なムードになるだけだ。

 

怒られて宿題をしたとしても、嫌々するだけ。

知識を習得できないだけでなく、ますます嫌いになるだけ。

 

本人の身になりやしない。

 

それなら、思う存分遊ばせる方がよっぽどいい。

 

遊びをとおして、「想像力」「発想力」「観察力」など、

「大人になって役立つ力」や「生きる力」を身につけることができるのだから。

 

遊ぶことは、「楽しい」もの。

楽しみながら、これらの力が自然と身についていく。

 

遊びをとおして身についたこの力は、子供達の本物の「スキル」となる。

 

だから、勉強や宿題が嫌なら、やらなくていいと思っている。

 

 

それでも、

「宿題しなさい(怒)」と怒ってしまうのは、どうしてだろう。

 

「宿題をする」「宿題をしない」は、子供の問題のはず。

親の問題ではない。

 

ただただ、親が世間体を気にしているだけ。

 

学校や周囲の「目」「声」を気にしているのだ。

 

「先生に注意されるのが恥ずかしい」

「宿題しない子だとうわさになるのが嫌」

「よくできるお子さんだと褒められたい」

などなど。

 

子供のためじゃなく、大人の都合で怒っているのだ。

 

やっぱり、宿題なんかしなくていい。

 

 

そんなことを考える親なんて、

変な父親だと自分でも思う。

 

 

この前、宿題をめぐって

娘とこんなやりとりがあった。

 

 私

「パパやママは、宿題しないさいと言いたくないんや。」

 

「宿題したくないのに嫌々しても、ちっとも役にたたへんやろ。」

 

「嫌なら、宿題や勉強なんてしなくていいと思っている。」

 

「自分からしたいと思ったら、したらいいと思っている。」

 

「でも、心配なんや。」

 

「(娘)が、学校で先生に怒られるかもしれへん。」

 

「(娘)だけ宿題していなかったら、お友達に冷たい目で見られるかもしれへん。」

 

「(娘)が学校で辛い思いするのが嫌なんや。」

 

「だから宿題しなさいって言うんや。」

 

「宿題する?しない?どうする?」

 

「自分で決めて。」

 

「宿題する。でも1人でせーへん。ママと一緒にする。」

 

「なんで1人でせーへんの。」

 

「勉強わからへんから。」

 

「わかった。ママと一緒にしぃ。」

 

「ママに宿題一緒にしようって言うてき。」

 

「でも、1つだけお願い。」

 

「わからないからって、ママに偉そうに言ったらあかんで。」

 

「うん。」

 

「あと、明日から宿題どうする?」

 

「お兄ちゃんと一緒のときにする。」

 

 

こんな話し合いをして、なんとか宿題をするようになりました。

 

 

分かってもらえたかどうか分からないけど、毎日、お兄ちゃんと宿題できているようです。

 

きちんと向き合って話し合うことも大切だなと感じたやりとりでした。 

 

 

 

 

以上、

最後まで読んでいいただき、ありがとうございました。